全国には多くの優秀な高校があるが、それらの学校を日本のプロ野球の球団とすれば、灘中高はさしずめアメリカのメジャー級で、その学力の高さには驚嘆するばかりである。2,3年前の話。灘中の近くに住んでいた同僚が、下校中の灘中の生徒達とぶつかったそうだ。そこで、灘の生徒たちが同級生とどんな話をしているのか興味が湧き、耳をそばだてて聞いてみたらしい。どうやら、自分の知らない天体の話であったようだ。その話を聞いて思った事。この子達は公立中に行くと皆と話題が合わなくて、クラスでは浮き、場合によっては先生からも敬遠され、孤立感を持つかもしれない。知的好奇心に満ちて自己主張の強い彼らには地元の公立中を避け、自分と同じタイプとレベルの連中のいる灘中に入ることが自分を守る道であり、灘中は彼らにとっていわば駆け込み寺の役割を果たしてきたのではないか。灘中合格は栄誉であると同時に救済の色合いが強いような印象を持ったのだが、これは私のあまりに主観的な深読みであろうか。白陵も灘ほどはないにしても公立では見かけない多くの個性的な生徒がいるのも当然のことだろう。我が子が少し変わった面を持っていることに気付いた親は公立中を避け私立に送り込もうとしてきたのだから。私立の良さの一つはこの生徒たちの個性の強さかも知れない。

今回は灘中から白陵に転校してきたF君のことについて話してみよう。

彼は灘中に1ケタの成績で合格した超優秀生であったが、白陵で我々と出会った時は、教師に不信感や敵意をも持っていて、うっかり灘のことに触れるとその表情はさらに厳しいものとなった。よほど嫌な辛いことがあったのだなと容易に想像できた。私はそんな彼に敢えていろいろ話しかけてみたが、2,3か月は全く持ってそっけない返事しか返ってこなかった。しかしその声の調子に少しずつ変化が生まれていることに気づいていた。授業が進むにつれて彼の数学の力が尋常でないことにクラスの仲間が気づき始め、いつも誰かが彼のところにやってきては教えてもらっている光景が見られるようになった。彼にとっては易し過ぎる質問であっても嫌な顔一つせずにきちんと説明していた。こういうクラスの仲間との交流を経て、入学時には凍りついていた彼の心も氷解し本来のひょうきんさを取り戻していった。(彼の数学の力は高3で受けた駿台のハイレベル模試で偏差値が100を超したことでも証明されるでしょう。)彼は高校3年間曜日を勘違いして遅刻をした1日を除くと皆勤だったことでも彼の精神状態がずっと上向きだったことがわかる。彼の残した愉快なエピソードの中から一つ。高校生離れした数学に比べ、大嫌いな先生が教える英語は全く勉強しておらず基本文法の知識の貧弱さは唖然としてしまうほどだった。高3のある日、英語の授業で先生が彼に質問した。「このasの用法と意味は?」しばらくFは考えて、「aの複数形です。」先生も含めて教室中がそのジョークに湧きかえった。ところがしばらくすると、冗談ではなく本気でそう思っているのでは・・・・・とみんなは思い始めた。真偽のほどは彼は笑って答えなかったそうだが。そのぐらいひどい彼の英語も夏休みから本気で取り組み、入試時にはかなりの力を付けていた。

卒業時に私は彼にこう言った。「おいF、この白陵にかわってきて最高にうまくいった要因は何だと思うか。私は女子の存在のように思うが、自分ではどう思う?」賢い彼はなんの照れくさい表情も浮かべずはっきり答えた。「僕もそう思います」と。その後彼は京大理学部に入り、世界的に有名な森教授の下で数学者の道を歩んでいる。厳しい競争原理を緩和する何かが女子の中には備わっている。この時の経験が男女共学に賛成の大きな根拠になっている。女子は偉大だ。